2008/03/25

「チューリング化」

"長年にわたって、私はさまざまな分野の専門家と仕事をする機会に多く恵まれてきた。あらゆる活動が計算機技術のおかげで画期的に変化している。しかしすべての分野がそれを受け入れているわけではない。一部の科学者、免許制の専門家や職業人は新しい技術にアレルギーを持っている。

ある種の専門家には画期的な技術を歓迎しやすい傾向があるのはなぜか、最近ひらめいた。最新技術を取り入れたがる部類の専門家は、その専門分野がすでに「チューリング化」されていることに気がついたのだ。

私たちは多くの作業や職業について、人間だけができると信じてきた。道具や言語を使うこと、絵を描くこと、チェスをすること。それが今では一つ一つチューリング化されつつある。計算機が人間を負かしている。人間より上手になっている。


今までのところ、算術計算、スペリング、飛行機の操縦、チェス、タスクスケジューリング、溶接などは確認済みだ。みんなチューリング化されている。

計算機科学者は一緒に仕事する相手としてすばらしい。概して新しいものを全然恐れないからである。彼らはずっと昔にチューリング化されている。自分たちが以前していたことの多くは、今では計算機の方が上手にできることを熟知している。これに対して医者は一般に新技術を受け入れようとしない。彼らの仕事は計算機では代用がききにくいからである。多くの生物学者も同様。

生物学の中でもすでにチューリング化された分野がある。たとえば系統発生学、すなわち異なる種がどのように関連しあっているかという系統樹を研究する学問である。つい最近まで誰も信じなかったことであるが、系統樹を明らかにすることについては、最も賢くて造詣の深い人間よりも計算機の方が上手であることがわかっている。つまり系統発生学者はチューリング化されていて、新しい物事のやり方に対して開放的なのである。

その一方で分類学者や野外生物学者は、計算機には人間のように生物を認識したり分類したりすることができないと今でもまだ信じている。おやおや。彼らはそろそろチューリング化されようとしている。医者もそうだ。

自分がひとたびチューリング化されると、人間にしかできないと思われていた他人の職業が計算機でもできるということを容易に信じられるようになる。人生のいかなる場面でも、画期的変化をもたらす技術を受け入れられる。"
http://memo7.sblo.jp/article/13122515.html

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