2009/03/16

校長先生のお話

 この前僕たちの教室へ、校長先生がきて、お話を聞かせてくれました。
 <昔昔、あるところにけちな貸屋の人がいました。あるとき貸屋の人がいいました。「人さまにかさをかすんじゃあないぞ。」
「え どうしてですか?」と、ぼうずがききました。
「はれたらかえさないからだ。」ぼうずがまたききました。
「じゃあ傘を貸してくださいといってきたら?」
「うちのかさはどこそこ穴があいているのでおかしできませんといえ」
ぼうずはつぶやきました。・・・うちのかさはどこそこ穴が開いているのでおかしできません・・・
そして、ひとがきて、いいました。「ここのねこは、ねずみとりのめいじんらしいな。うちのやねうらに、ねずみがいっぱいいるのでかしてくれないか」
ぼうずはいいました。「うちのねこは、どこそこあながあいているのでおかしできません」
「はあ?」
その人は帰りました。
「ばか、そういうときは、 うちのねこはどこそこ部屋の中でウンコをするので井戸につるしています。といえ」貸屋は言いました
ぼうずはまたつぶやきました。
「うちのねこはへやのどこそこにうんこをするので井戸につるしています・・」
またある人が来て、
「おーい、しょうぎ、やろうぜ」
といいました。
ぼうずはでてきていいました。
「うちのしょうやさんは部屋のどこそこにうんこをするのでいどにつるしています。」。> 終わり

2009/03/12

教化(きょうか)

よくおぼえておいたほうがよい。
Wikipedia より。
"教化(きょうか)とは、特定の政治・宗教の価値観を、学習する立場の者に、盲目的に内面化させることを指す。左右を問わず、全体主義体制にある国では、教化が行なわれる。
洗脳と紙一重である。
戦前・戦中に教育を受けた日本人は、皇国史観を教化されていた。シベリア抑留された日本兵は、スターリンにより共産主義に教化され、赤化日本人を生み出した。朝鮮戦争時、中国軍に捕虜とされた米兵も共産主義に教化され、多くの米兵が共産主義者宣言を出した。北朝鮮による拉致事件の被害者も、北朝鮮に到着後、直ちに主体思想を教化された。
また、生まれた家庭がある宗教の熱心な信者であった場合、親により教化がなされる。その宗教に基づく通過儀礼が行なわれ、その宗教の少年部に加入させられ、成人後に熱心な信者になることが期待される。"

虚偽性障害

wikipedia より

詐症の手口

”この障害の人は、急性の身体症状を訴え、病院を訪れては応急処置や検査を受ける。病気を装う手口として、最も有名なものには発熱がある。監視者の目を盗んで体温計を擦り摩擦熱で発熱を訴えるといった方法が使われる。
他には、砂糖を尿に混ぜ糖尿病を装う、卵白を尿に混ぜて腎臓病を装う等、繰り返し同じ箇所を自傷してなかなか治らない傷を作るなど、様々な方法を使って入院しようとする。
また、心理的症状が優勢なケースの場合、意図的に大雑把や間違った答えを行ったり、精神疾患の症状を意図的に作り出すために、精神に作用する物質・薬などを利用する場合がある。”

2009/03/10

"反道徳的行為は、文字通り「反吐が出そうな」ものらしい。こうした行為は、腐った食べ物を回避するために原始から備わった脳の部位を刺激しているらしいことが、研究によって明らかになった。
金銭を山分けするゲームで不公平な配分を持ちかけたところ、被験者らは文字通り「鼻が曲がる」ような表情を見せ、不快感をあらわにした。この反応は、腐った味のする飲み物や、不快な図像に対するものと同じだった。
研究の共著者の1人である、トロント大学のAdam Anderson助教授(心理学)は次のように語る。「われわれの仮説は、道徳心は古くからの心理的反応を基に形成されているというものだ。脳は、すでに自分にとって悪いものを拒否するシステムを発見していたが、これを使って、何か悪い味や臭いがするものから得られる反応と結びつけた」
哲学の世界では伝統的に、道徳心とは純粋に理性的な思考の結晶とみなされてきたが、科学の世界では、道徳心には感情も作用しているのではないかと考えられてきた(日本語版記事)。
ここで言う感情の中で、最も注目されているのが不快感だ。『Science』誌2月27日号に発表された最新の研究は、神経生物学において不快感が重要な役割を担っていることを示唆するものだ。ただしAnderson助教授は、不快感だけが道徳心を形作っているわけではない、と釘を刺す。
「食べて安全でないものを拒絶するように、道徳認識においては、ある行動を拒絶することがある。[その意思決定において]何が一番先に来るかを特定することはできないが、私はそれが不快感だとは思わない。渾然一体となった中で、不快感が意思決定に影響を及ぼしている」とAnderson助教授は言う。
Anderson助教授らのチームは、被験者らの表情の反応を記録しながら、複数の液体(甘いもの、無味のもの、苦いもの)を飲ませたり、写真(悲しいもの、中立的なもの、不快なもの)を見せたりした。これらの反応を重ね合わせて画像処理をしたところ、不快感が明らかに「上唇挙筋の領域の活性化」を引き起こしていることが分かった――これを一般人の言葉で言い換えると、鼻に皺が寄り、上唇が引き上がる、ということだ。
その後、被験者には2人組になって10ドルを山分けするゲームをしてもらった。1人目が互いの取り分を決め、もう1人はその申し出を呑むか、ゲームを降りるかを決める、というルールだ。バランスの悪い配分を示された場合――1人目が9ドルを取って2人目は1ドルだけなど――ほとんどの被験者はその申し出を不公平だと言い、不快に思ったと言って金を拒否するが、その際の顔の表情は、不味いものを口にしたときと同じだった。
進化論的観点からは、上唇挙筋を活性化させるのは理に適っている。腐敗臭や崩れた食べ物のかけらが鼻や口から入ってくるのを防げるからだ。Anderson助教授はこの動きについて、受け入れがたい社会的状況に対する反応にも適しているのだと言う。恐れから来る動揺や、怒りから来る盲目的な攻撃とは異なっているというのだ。
この記事には批評が添えられており、ペンシルベニア大学のPaul Rozin教授(心理学)とKatrina Fincher氏、バージニア大学のJonathan Haidt准教授(心理学)が、研究結果に疑問を呈している。
これらの研究者は、反道徳的行為によって引き起こされる不快感と腐った食品によるそれとが「「同じ」不快感であるかは明らかでない。表出システムの共通の要素に過ぎないかもしれない」と書いている。不快感の役割を明確にする前に、道徳的な状況への反応自体を研究する必要がある、というのだ。
だがAnderson助教授は、人が不快そうな表情をし、不快に思ったと言うならば、その人は不快感を感じている、とする立場だ。自分が不利になる取引と、吐き出したくなるような飲み物とでは、感じ方が完全に同じでないとしても、かなりの部分が重複しているという。「反応が完全に同種であるかどうかは、おおむね同種であることほど重要ではない」とAnderson助教授は言う。
不快感を感じた被験者は、その他にも怒りや不安、悲しみなどの感情を感じたと申告しているが、申告が最も多かったのは不快感だった。他の文化圏での社会活動では道徳的反応が違った心理的基準で現れる可能性を考慮して、Anderson助教授は非英語圏出身者を対象に同様の実験を行なう予定だという。
「より集団主義的な、人は大きな文化的枠組に絡めとられるのが当然という文化圏においては、もしかすると人は誰かに騙されたときに[不快感よりも]悲しみを感じるかもしれない」とAnderson助教授は言う。
今回の発見から、道徳的判断は生理学によって決定されると言えるだろうかと尋ねたところ、Anderson助教授は、道徳心ははるかに複雑なものだと強調した。
「さまざまなことを考慮に入れねばならない。今回の研究結果は、われわれの道徳的判断の一部が、こうした古くからの脳の構造に導かれていることを示すものだが、それが全てではない。この原始的なシステムは、公平か不公平かを判断するわけではない。そういった判断は脳のより高次な部分で起こる。その判断が脳の原始的なシステムへと下ろされた後、今度はこの部分から思考中枢へと情報がフィードバックされる。感情と認識は互いに絡み合っている」と、Anderson助教授は語った。"
http://wiredvision.jp/news/200903/2009031021.html