2008/03/12

アスペルガー症候群

”コミュニケーション上の特徴が障害とは限らない

症候群という表現は、アスペルガーの人は障害者(異常)で、その他の者は健常者(正常)というように感じる。しかし、特徴の見かたを変えると、客観的で、事実を正確に理解して表現することに長けているともいえる。以下に挙げられている「言葉を額面どおりに受け取る」や「些細なことにこだわる」という特徴も「厳正に規則を守る」と言い換えることもできる。例えば、パソコンのように順序だったものや規則的なものに興味を持てば、才能を開花させることも可能である。また「行間を読むことが苦手」というのは、行間を読まないコミュニケーション方法ということである。それは「行間を読むコミュニケーション(アスペルガー以外の多数派)」に対しての「少数派の方法」という関係である。

つまり、少数派であるために、多数派の人と自由にコミュニケーションが取れない、或いはコミュニケーション方法の違いを理解されないという問題が、社会生活での障壁となりやすい。

[編集] 主な問題点

アスペルガーの人は、多くのアスペルガー以外の人と同様に、またはそれ以上に強く感情の反応をするが、何に対して反応するかは常に違う。 彼等が苦手なものは、「他人の情緒を理解すること」であり、自分の感情の状態をボディランゲージや表情のニュアンス等で他人に伝えることである。多くのアスペルガーの人は、彼等の周りの世界から、期せずして乖離した感覚を持っていると報告されている。

例えば先生が、アスペルガーの子供に(宿題を忘れたことを問いただす意味で)「犬があなたの宿題を食べたの?」と尋ねたら、その子はその表現が理解できなければ押し黙り、先生に自分は犬を飼っておらず、普通犬は紙を食べないことを説明する必要があるのかどうか考えようとする。つまり先生が、表情や声のトーンから暗に意味している事を理解できない。 先生は、その子が傲慢で悪意に満ち、反抗的であると考え、フラストレーションを感じながら歩き去っていくかもしれない。その子はその場で何かがおかしいとフラストレーションを感じながら、そこへ黙って立ち尽くすことだろう。

アスペルガーの子供は、言葉で言われたことは額面どおり真に受けることが多い。親や教師が励ますつもりで「テストの点数などさほど大事ではない」などとあまりきれい事ばかり聞かせたり、反対に現実的なことばかり教えたりすると、真に受けてしまい、持つべき水準からかけ離れた観念を持ってしまう危険性がある。彼らは、“大人の発言には掛け値がある”という疑いを持ちにくく、持ったとしても、はたして掛け値がどのくらいなのかを慮ることが困難であるため、発言者の願望を載せて物事を大げさに表現すると狙った効果は効き過ぎることになる。この傾向を助長するのは、通常であれば日常生活で周囲の人の会話などから小耳に挟んで得ているはずの雑多な情報を、アスペルガーの人は(アスペルガー特有の“興味の集中”のため)“聞こえてはいる”ものの適切に処理することができず、いわゆる「耳年増」になれないから、ということかもしれない。

アスペルガーの人は、特異な言語感覚で話すことがある。「水漏れ」を「水濡れ」、「阪神大震災」を「阪神地震」、「暴行」を「妨害」、「欲しがりません勝つまでは」を「勝つまでは欲しがりません」などと、微妙にニュアンスは合っているものの、他人と共有できない、もしくは理解に努力が必要な表現を使うことがある。また、漢字を読むのにも「格闘技」を「かくとうわざ」と読んだり、音読みと訓読みを意図的に違えて発声する場合もあり、これのいずれにも共通しているのは、「水漏れ」「阪神大震災」「暴行」「かくとうぎ」「欲しがりません勝つまでは」という言葉を、本人はきちんと知識として認識していることである。にも関わらず実際に自分の口から発するときには、独自の語彙で表現することに固執するのである。”引用元:Wikipedia

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