2008/05/14

"ポール・マッカートニーは、ビートルズ解散後にソロ・アーティストとして3度来日し、ツアーを行なっている。だが、ウイングスとして活動していた1970年代に彼の来日公演が実現することはなかった。もともとウイングスは1975年に初の来日公演を行なうはずだった。しかし来日直前になって法務省がマッカートニー夫妻の過去の薬物による犯歴を示唆し、ビザが取り消したので公演は中止となってしまう。それから5年後の1980年に彼は再度ウイングスとして来日したものの、大麻不法所持の容疑で逮捕されてまたもツアーは中止された。この事件はスネークマンショーによりパロディにされるなど、日本の音楽界に大きな影響を与えた。

1980年の事件後にマッカートニーは入国管理局のブラック・リストに登録され、これにより日本には永久に入国できないことになっていた。しかし、10万枚を超えるファンの嘆願書や、彼の世界的な文化貢献の認知により、日本入国の特別許可が認められることとなった。(同時期のローリング・ストーンズの来日も含め、自民党支持率の低下で若い世代の浮動票を狙う目的が大きかったとも言われている)日本での事件から10年後の1990年3月、彼はビートルズ時代以来実に24年ぶりの来日公演を果たした。日本でのツアーで、彼は東京ドームで6公演を行ない成功させた。また、彼はこのツアーにスーパーマリオの生みの親である任天堂の宮本茂を招待してサインを貰っている(これは、マッカートニーの長男・ジェイムズの影響でポール自身がスーパーマリオにはまっていたためである。同時期に作製した「ウ・エ・ソレイユ」のプロモーションビデオはマリオ風に仕上がっている。)

1993年11月にはワールド・ツアーの一環として再び来日し、東京ドームで3公演、福岡ドームで2公演を成功させた。福岡滞在中に大相撲(九州場所)観戦もしている。

2002年、9年ぶりとなる来日公演を行ない、東京ドーム3公演、大阪ドーム2公演を行なった。日本滞在中は、歌舞伎、高尾山への散策や、(東京から京都への)移動に新幹線を使用し、京都・金閣寺や日本料亭なども楽しんだという。"

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