2008/12/28

(あえてこういうことをやってみる。”所有という幻想”)

”松本零士氏がセリフの「盗用」をめぐる裁判で敗訴した。彼がpro-copyright派の愚劣さを世の中に示した功績は大きいが、この事件もいろいろなことを考えさせる。

松本氏の脳内では、すべての情報は作者が所有しているのだろうが、これは著作権という誤った制度が生み出した幻想だ。情報の複製が「盗用」なら、彼の「銀河鉄道999」は宮沢賢治の盗用だ。そもそもヴィトゲンシュタインが指摘したように、自然言語の文法も語彙も社会的に共有されているのだから、私的言語はありえない。複製や共有を盗用というなら、すべての表現は盗用なのだ。

トヨタの没落も単なる販売戦略の誤りではなく、「自家用車」という幻想の終わりの始まりではないか。私は免許をもっていないが、今まで不自由したことはほとんどない(例外はシリコンバレーでタクシーがなかったとき)。少なくとも日本の都市では、タクシーですべて用は足りる。わざわざ自家用車を所有して、週末にドライブするぐらいしか使わないのは社会的な浪費だ。

同じように浪費されているのはコンピュータだ。PCは1日のうち平均1時間も稼動していないだろう。これをつないで使う「クラウド」は、従来のハードウェアを所有するという考え方を変えて、必要なときだけ借りて使うものだ。これは実は、新古典派経済学の企業理論と同じである。資本財に完備市場があれば、設備を企業が所有する意味はなく、必要なときだけ借りて使えばよい。そんなことは普通の資本財では不可能だが、インターネットはそういう世界を実現しつつある。

契約理論が教えるように、所有権は将来どのように資源を使うか予想できないとき、その残余コントロール権を特定の人が独占することによって権利の配分を効率化する次善のしくみだ。しかし情報のように共有可能な公共財では、このような所有権は意味がない。物的な資源も、クラウドのように事前に予約せずに自由に使うことができれば所有権で囲い込む必要はない。

半導体が絶対的に供給過剰になれば、価格メカニズムで計算資源を節約する意味はなく、むしろそこにアクセスする人の関心が稀少になるので、その個人情報を売買するビジネスのほうが有望だ。グーグルのAdSenseは、間接的に個人情報をmonetizeするしくみだが、プライバシーについての無意味な規制が撤廃されれば、もっと直接に個人情報を売ることもできよう。

今後100年を考えると、おそらく近代社会の基本的な枠組である所有権の意味が薄れ、情報資源は必要なときだけレンタルするしくみに変わっていくのではないか。このとき問題なのは、物と所有者が1対1に対応しなくなり、価格形成がむずかしくなることだが、それは資源や情報を共有する最善のシステムを実現することに比べれば大した問題ではない。価格メカニズムは、所有権という非効率な権利を効率的に配分するしくみにすぎないからだ。

だから今は、所有権=価格メカニズムという300年ぐらい続いたシステムから、次のシステムへの過渡期だろう。次にくるのがどんなシステムなのかまだよくわからないが、その移行を実験しているのが(彼らが自覚しているかどうかは別として)グーグルだと思う。彼らが電波の「コモンズ」に強い関心を示しているのは、たぶん偶然ではない。”
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/b0fc34293a9512894c013e2c76a20358

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